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赤倉温泉(最上町)

(あかくら おんせん もがみまち)

豊富な湯量で源泉かけ流しのいにしえの名湯

山形県最上町にある赤倉温泉は、1100年以上の歴史を持つ温泉街です。豊富な湯量で湧き出る温泉は、各旅館ごとに自家源泉を持っており、それぞれ趣を凝らした多彩なお風呂のかけ流しの温泉で、山形県内でも類を見ない温泉地です。

開湯は貞観5年(863年)に諸国を行脚していた慈覚大師が、村人たちが傷ついた馬を小国川の川湯で治しているのを見て、錫杖で岩を掘ったところから湯が噴出したと伝えられています。現在でも、小国川の石を掘ると温泉が湧き出てきます。湯から上がった後は、いつまでも体がぽかぽかと温かい「温まりの湯」です。

9つの旅館が点在する温泉街

赤倉温泉駅から少し離れた小国川沿いに9つの旅館が点在し、各旅館は個別に豊富な湧出量の自家源泉を持っていて、微妙に異なる泉質です。それぞれ趣を凝らした多彩なお風呂で提供されています。また、共同浴場が1軒存在し、周辺には赤倉温泉スキー場もあります。

清流最上小国川のせせらぎを聞きながら、源泉かけ流しの湯船に浸かり、心身ともにくつろげる湯を楽しめます。日々の疲れを癒しましょう。

泉質と特徴

赤倉温泉の泉質は、カルシウム・ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉(低張性弱アルカリ性高泉)で、泉温は約50℃~65℃です(各旅館の自家源泉ごとに異なります)。弱アルカリ性で無色透明、無味無臭です。関節痛、神経痛、動脈硬化などに効くと言われています。湯から上がった後は、いつまでも体がぽかぽかと温かい「温まりの湯」です。

開湯伝説と地名の由来

慈覚大師円仁が貞観5年(863年)に奥羽地方を巡っていた際、地元の村人が小国川で傷を負った馬を癒しているのを見て、錫杖で川底を突くと薬湯が湧き出たと言われています。鉱泉史では享保6年(1721年)に記載されており、日山湯は文政4年(1821年)に発見されています。

鎌倉時代、翁山(おきなさん)は信仰の山として栄え、行者たちは小国川を聖なる川とあがめ、円仁ゆかりのいで湯で身を清めた後、川の水を仏に供えて翁山へ向かう習わしがありました。この「閼伽(あか)」が地名にも反映し、後に「赤」の一文字に替えられたとされています。また、地名辞典によると「倉」は「蔵」と同意語で、元の意味は危険な岩場を指し、赤倉温泉の地名が定着しました。

湯めぐりチケット

温泉街には、赤倉温泉駅から少し離れた小国川沿いに9軒の旅館があり、温泉街の旅館を含め、JR陸羽東線・国道47号沿いにある瀬見温泉(山形県最上町)および鳴子温泉郷(宮城県大崎市鳴子)との間で、共通の湯めぐりチケットが発行されており、県境を越えた湯巡りが楽しめます。

松尾芭蕉の足跡

元禄2年(1689年)、松尾芭蕉は曾良とともに仙台領尿前の関を越え、出羽の国新庄領堺田村(現在の山形県最上町)に入りました。日が暮れたため宿としたのが「封人の家」です。旧暦の5月14日(7月1日)に訪れ、悪天候のため二泊しました。ここで詠んだ句が「蚤虱馬の尿する枕もと」です。馬を大切にしてきた土地ならではのエピソードです。

山刀伐峠
赤倉温泉を経て尾花沢に向かうために芭蕉一行が越えた峠が山刀伐峠です。当時は山賊が出没する危険な峠でしたが、現在は散策路として整備され、美しい紅葉狩りが楽しめます。

赤倉温泉スキー場

紅葉の時期が終わると、一面の雪景色が広がります。近くには赤倉温泉スキー場があり、12月下旬にオープンします。恵まれた雪質とバリエーション豊かなコースで、初心者から上級者まで誰でも楽しめます。

日帰り温泉「おくのほそ道」赤倉ゆけむり館

四季折々の表情を見せる日本庭園内の露天風呂ほか、家族風呂や産直・交流スペースを併設した日帰り温泉施設です。移り行く最上の四季を感じながら、赤倉温泉自慢の「あったまりの湯」を堪能できます。

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名称
赤倉温泉(最上町)
(あかくら おんせん もがみまち)

新庄

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