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安久津八幡神社

(あくつ はちまん じんじゃ)

山形県唯一の三重塔

高畠町のシンボルである「三重の塔」と、参道途中の舞楽殿、その奥に本殿があります。この三つの建造物は県の指定文化財となっています。古墳や復元住居、田園、四季の花々など自然と歴史を感じとれる公園「まほろば古の里歴史公園」の中に位置しています。

安久津八幡神社の歴史

安久津八幡神社は、貞観2年(860年)、慈覚大師が豪族、安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりとされています。その後、平安後期に源義家が戦勝を祈願して鎌倉鶴岡八幡を勧請したと言われていますが、これは確かな記録ではありません。

源義家が永承6年(1051年)に安倍一族討伐と寛治元年(1087年)後三年の役の際に安久津八幡神社に戦勝祈願を行い、勝利を収めたと伝えられています。戦国時代には、伊達氏は安久津八幡神社を深く崇敬し、広大な社領を寄進しました。特に「独眼竜政宗」は重臣「片倉小十郎」を総裁に任じ、神務も司るなど、神社の隆盛に大きく貢献しました。

元和元年(1615年)に拝殿が、元和5年(1619年)には本殿が火災で焼失しましたが、その後再建されました。しかし、明治45年(1912年)には金蔵院が火災で焼失し、貴重な建物や宝物、文化遺産が失われてしまいました。

三重塔

安久津八幡神社の三重塔は、初めて建てられたのは寛永2年(1625年)と伝えられていますが、寛政2年(1790年)に烈風で倒れ、寛政9年(1797年)に地域の百姓の寄付で再建されました。方三間造りで銅板葺き、置賜地方唯一の層塔、山形県唯一の三重塔です。

構造及び形式: 三間三重塔婆、銅板葺き

本殿

現本殿は宝暦5年(1755年)に再建されたもので、三間社流造、茅葺き、和様出三斗の軒組で、棟の両端に鬼面板が上げられています。

構造及び形式: 桁行三間、梁間二間、一重、流造、茅葺き

舞楽殿

舞楽殿は方二間の宝形造り、茅葺きで、室町時代末期に建てられたとされています。西側には小さな下屋があり、三方吹き抜けの『舞台』となっています。毎年5月3日には倭舞、9月15日には延年の舞が古式豊かに舞われます。

構造及び形式: 桁行一間、梁間一間、一重、宝形造、茅葺き

境内の見どころ

境内には鐘つき堂、干年松、流鏑馬的場跡などがあり、裏山一帯には安久津古墳群が点在しています。他にも千年松(町指定文化財)、奥の院の洞窟、片葉の葺、爺婆石、弘法清水などの伝説が残っています。神社の西側の山は春になると5千本ほどのツツジで彩られます。

郷土資料館と考古資料館

境内の東側には郷土資料館があり、周辺は歴史公園として整備されています。また、「うきたむ風土記の丘」の中核施設として山形県立考古資料館があります。

まほろば古の里歴史公園

まほろば古の里歴史公園は、高畠町のシンボルである「安久津八幡神社の三重塔」と「県立うきたむ風土記の丘考古資料館」を中心に、古墳や復元住居、田園、四季の花々が楽しめる公園です。

自然と歴史が融合したこの場所は、桜や菜の花、ひまわりなどの花々と三重塔の景色が美しい観光スポットとして一年中多くの人々が訪れます。

Information

名称
安久津八幡神社
(あくつ はちまん じんじゃ)
住所
山形県高畠町大字安久津2011
駐車場
有り
アクセス

JR高畠駅より車15分

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