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庭月観音

(にわつき かんのん)

最上三十三観音の打ち止め満願の霊場

室町時代の天文15年(1546年)に佐々木貞綱が聖観音像を祀るために建立したお堂に始まります。天台宗の寺院で正式名称は「庭月山 月蔵院」(ていげつさん がつぞういん)ですが、一般的に庭月観音と呼ばれています。

最上三十三観音の三十三番札所「打ち止めの霊場」として、多くの巡礼者が訪れます。毎年8月18日には、仏式としては東日本随一の「庭月観音灯ろう流し」が行われます。

特徴

庭月観音は、鮭川河畔に位置し、最上三十三観音霊場の最後の地として知られています。境内には多くの納札や笈摺が納められています。毎年8月18日には、灯籠流しが行われ、庭月観音から鮭川に向けて灯籠が流されます。この灯籠流しは仏式として東日本随一の規模を誇ります。

歴史

庭月観音は戦国時代にこの地を支配した鮭延城主、佐々木(鮭延)貞綱の時代に創建されたと伝えられています。貞綱は観世音菩薩を信仰しており、鮭延城内に円仁(慈覚大師)作とされる聖観世音菩薩像を安置していました。

家臣の庭月利左衛門広綱が、「観音様は人々を苦しみから救う仏様なので、城内に安置せず、広く領民に礼拝させるべき」と進言し、貞綱がそれを聞き入れて鮭川河畔に観音堂を建てたのが創建の始まりです。観音堂の所在地は、庭月利左衛門広綱にちなんで「庭月」と呼ばれるようになりました。

江戸時代になると、最上家の家臣となっていた鮭延氏が最上家の改易により佐倉、次いで古河へ移された後、庭月の地には戸沢氏が入り、新庄藩領となりました。

観音堂は、鮭延氏の国替えや鮭延城の廃城により一時荒廃しましたが、1671年(寛文11年)に2代藩主戸沢正誠の発願により寄付が募られ、現在の場所に遷移・再建されました。1676年(延宝4年)には落慶法要が営まれ、その後、阿弥陀堂やおいずり堂などの建物が建立されました。

建造物・境内

山門(おかげさま門)
「自分が生きているのは数多くのお蔭さまを受けているからである」という教えから名づけられました。

仁王門
観音堂へと続く門で、仁王(金剛力士)が祀られています。

鐘楼
現在の梵鐘は二代目で、毎日の朝夕に荘厳な音色を響かせています。

阿弥陀堂/千体仏(鮭川村指定有形民俗文化財)
千体仏信仰によって、多くの祈願者が参拝しています。

観音堂
江戸時代に現在の場所に遷移されました。聖観世音菩薩が祀られています。

本堂(おいずり堂)
巡礼者が納めるおいずりが多数収められています。

その他
庭月観音資料館
光姫塚
縄文遺跡(ストーンサークル)
如来形座像(鮭川村指定有形民俗文化財)
観音のお清水
お滝の不動明王
無縁仏
鮭延公家臣の墓
びんてんこ地蔵
忠魂碑
お稲荷さま
庭園(四季折々の草花)

Information

名称
庭月観音
(にわつき かんのん)

新庄

山形県