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新庄城址・最上公園

(しんじょうじょうし もがみ こうえん)

新庄藩の歴史を今に伝える城跡と、市民に親しまれる桜の名所

新庄城址・最上公園は、山形県新庄市にある新庄城の本丸跡を中心とした公園です。新庄城は、1625年(寛永2年)に新庄藩の藩祖・戸沢政盛によって築かれた城で、かつては戸沢氏が長くこの地を治めました。

現在も城跡には堀や石垣、土塁などの遺構が残されており、往時の城郭の面影を感じることができます。園内には戸沢神社、天満神社、護国神社も鎮座し、歴史と信仰が息づく場所となっています。

また、春には約300本のソメイヨシノやシダレザクラが咲き誇り、最上地方を代表する桜の名所として多くの花見客でにぎわいます。

新庄城の歴史

新庄市は、かつて新庄藩6万8,200石の城下町として発展しました。新庄城は1625年(寛永2年)、新庄藩初代藩主となった戸沢政盛によって築かれました。

新庄城には「沼田城」「鵜沼城」という別名もあり、三重の堀をめぐらせた平城でした。初代藩主・政盛から11代藩主・正実まで、約243年にわたって戸沢氏が新庄藩を治めました。

城郭は、本丸の南側に二の丸を並べ、その外側を三の丸が取り囲む構造でした。堀の水は、城の北側を流れる差指野川から引き入れられていました。

三層天守の焼失と戊辰戦争

1636年(寛永13年)には火災によって三層天守が焼失しましたが、その後再建されることはありませんでした。

さらに、1868年(慶応4年)の戊辰戦争では、新庄城が戦闘の舞台となりました。庄内勢の攻撃を受けて城は落城し、城郭の大部分と城下町が焼失しました。当時の藩主・戸沢正実は久保田藩へ逃れ、新庄城は同年中に廃城となりました。

その後、本丸跡には新庄学校や郡会議事堂などが建てられましたが、現在は戸沢神社、天満神社、護国神社が鎮座し、歴史公園として整備されています。

現在も残る新庄城の城郭遺構

新庄城は廃城となった後も、堀や石垣などの遺構が残されています。公園を散策しながら城跡をたどることで、かつての城郭の規模や構造を感じることができます。

本丸跡

本丸にはかつて御殿が置かれていました。三層天守は焼失して現存しませんが、現在は「新庄城天守台跡」の碑が設置され、往時の天守の存在を伝えています。

二の丸跡

二の丸には土塁と濠が設けられていました。現在も城跡らしい地形が残り、公園の中を歩きながら当時の防御施設を想像することができます。

三の丸跡

三の丸には藩の政庁が置かれていました。表御門には石垣の一部が残されており、現在は「表御門跡」の碑によってその場所が示されています。

最上公園として親しまれる城跡

新庄城の本丸跡や二の丸跡を含む一帯は、現在「最上公園」として市民に開放されています。

園内には、新庄市出身の造園家・折下吉延が手がけた心字池もあり、城跡の歴史的な雰囲気と水辺の景観を楽しむことができます。

また、最上公園は四季を通じて自然を楽しめる場所ですが、特に春は多くの人が訪れます。約300本のソメイヨシノやシダレザクラが堀沿いを彩り、城跡ならではの景観と桜を一緒に楽しめます。

天満神社と新庄まつりの歴史

天満神社は、新庄城本丸跡の南西隅に鎮座する神社です。戸沢家の氏神として、旧領であった秋田県角館の時代から崇敬されてきました。

神社に残る棟札には、1628年(寛永5年)に初代藩主・戸沢政盛が建立したことが記されています。また、1668年(寛文8年)には2代藩主・戸沢正誠によって再興されたと伝えられています。

さらに、1756年(宝暦6年)の願文には、9月25日に新祭を行い、領内の平和や五穀豊穣、住民の幸福を祈ったことが記されています。これが現在の新庄まつりにつながる始まりとされています。

天満神社は、藩政時代から残る貴重な建造物として、新庄城跡の歴史を今に伝えています。

戸沢家を祀る戸沢神社

戸沢神社は1893年(明治26年)に創建され、翌年に完成しました。祭神として、戸沢家の始祖・衡盛、新庄藩祖・政盛、そして11代藩主・正実が祀られています。

戸沢家の始祖とされる衡盛は、保元の乱後に各地を移り、のちに岩手県雫石の地に定住して「戸沢」の姓を名乗ったと伝えられています。

政盛は秋田県角館の城主・戸沢盛安の子で、徳川家康に仕えて功績を挙げ、のちに新庄へ移って城を築き、新庄藩の基礎を築きました。

11代藩主の正実は、幕末から明治維新という大きな変化の時代に藩主を務めました。戊辰戦争では新庄城をめぐって戦いが起こり、城下は大きな被害を受けました。その後、1869年(明治2年)に版籍を奉還し、旧新庄藩領の人々によって戸沢家ゆかりの人物として祀られました。

護国神社と戊辰戦争の記憶

護国神社には、戊辰戦争以来の戦没者が祀られています。

1869年(明治2年)、新庄藩主・戸沢正実が戊辰戦争で亡くなった56名を祀るため、太田の瑞雲院境内に建立したのが始まりとされています。その後、1883年(明治16年)に遺族の希望によって吉川町へ移され、1891年(明治24年)に現在の場所へ移されました。

新庄城址に鎮座する護国神社は、城跡の歴史とともに、幕末から明治維新にかけての地域の歴史を伝える場所となっています。

春を彩る約300本の桜

最上公園は、最上地方を代表する桜の名所としても知られています。春になると、お堀端を中心に約300本のソメイヨシノやシダレザクラが一斉に咲き、城跡を華やかに彩ります。

例年4月下旬頃に見頃を迎え、桜の季節には「新庄春まつり」も開催されます。園内にはぼんぼりが灯され、昼間とは異なる幻想的な夜桜を楽しめるのも魅力です。

特に、戸沢神社へ向かう参道に架かる橋からは、堀の水面に映り込む桜を見ることができ、城跡ならではの美しい春景色を楽しめます。

新庄春まつりとカド焼きまつり

春の最上公園では、桜を楽しむ新庄春まつりが開催されます。園内にぼんぼりが設置され、夜にはライトアップされた桜を楽しむことができます。

また、4月29日から5月5日頃には「新庄カド焼きまつり」が開催されます。

「カド」とはニシンのことで、春に旬を迎える魚として、新庄では古くから春の訪れを告げる「春告魚(はるつげうお)」として親しまれてきました。

雪の多い新庄では、雪解けの時期になるとカドが入荷し、桜を眺めながら焼いて食べる風習が広まりました。現在のカド焼きまつりでも、脂の乗ったニシンを焼いた新庄名物のカド焼きを味わうことができます。

四季の行事が楽しめる歴史公園

最上公園では、春の桜やカド焼きまつりだけでなく、夏には新庄まつりが開催されます。天満神社の祭礼を起源とする新庄まつりは、城跡と地域の歴史を結びつける重要な行事の一つです。

歴史的な城跡を歩きながら、季節ごとの自然や地域の祭りに触れられることが、最上公園の大きな魅力です。

新庄の歴史と自然を感じる城跡公園

新庄城址・最上公園は、戸沢氏が治めた新庄藩の歴史を今に伝える貴重な史跡です。堀や石垣、土塁などの城郭遺構に加え、天満神社、戸沢神社、護国神社が鎮座し、城下町として栄えた新庄の歴史を感じることができます。

一方で、現在は市民の憩いの場として親しまれ、春には約300本の桜が咲き誇る華やかな公園へと姿を変えます。歴史散策と四季の自然、地域の祭りや郷土の味覚を一緒に楽しめるスポットとして、新庄市を訪れた際にはぜひ立ち寄りたい場所です。

新庄城の歴史

新庄市は、新庄藩6万8千2百石の城下町です。新庄城は寛永2年(1625年)に新庄藩祖の戸沢政盛によって築かれました。

別名で沼田城(ぬまたじょう)、鵜沼城(うぬまじょう)と呼ばれました。この城は三重の堀に囲まれた平城で、初代藩主政盛から11代藩主正実まで約243年間、戸沢氏が領内を治めました。

本丸の南側に小さな二の丸が並列状に配置され、その外側を三の丸が囲む形をしています。堀の水は城の北を流れる差指野川から引かれていました。

1636年(寛永13年)、火災によって三層天守が焼失しましたが再建されませんでした。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新庄城が戦闘の舞台となり、庄内藩に攻められ城は陥落し大部分が市街地もろとも焼失しました。当時の藩主、戸沢正実は久保田藩へ逃れました。新庄城はその年のうちに廃城となりました。

その後、本丸には新庄学校や郡会議事堂が建てられましたが、現在は戸沢神社、天満神社、護国神社が祀られ、最上公園として親しまれています。天満神社は藩政時代から現存する唯一の建造物です。

新庄城の城郭

本丸
本丸には御殿がありましたが、三層天守は落雷で焼失しました。現在は「新庄城天守台跡」の碑があります。

二の丸
二の丸には土塁と濠がありました。

三の丸
三の丸には藩の政庁が置かれ、表御門には石垣の一部が残り、「表御門跡」の碑があります。

最上公園

本丸跡、二の丸跡を含めた城跡は「最上公園」として市民に開放されています。新庄市出身の折下吉延による心字池もあり、最上地方随一の桜の名所としても知られています。春には約300本のソメイヨシノやシダレザクラが咲き誇り、多くの花見客で賑わいます。

毎年4月20日前後に桜が見頃を迎え、「カド焼きまつり」の会場にもなります。夏には天満神社の縁の祭りである新庄まつりが開催されます。

天満神社

天満神社は、新庄城址本丸跡の南西隅に位置し、戸沢家の氏神として旧領秋田県角館時代から尊崇されてきた神社です。

神社の棟札には、寛永五年(1628年)に初代藩主の政盛が建立したと記されています。また、寛文八年(1668年)には二代藩主の正誠が再興したとも記されています。

宝暦六年(1756年)の願文には、9月25日に新祭を営み、領内の平和と五穀成就、住民の幸福を祈ったことが記されており、これが新庄まつりの始まりとされています。

戸沢神社

戸沢神社は明治二十六年に創建され、翌年に完成しました。祭神は戸沢家始祖の衡盛、藩祖の政盛、そして十一代の正実です。衡盛は保元の乱で敗れた平忠正の子であり、木曾義仲に従い源頼朝に仕えた後、岩手県雫石に落ち着き、姓を「戸沢」としました。

藩祖の政盛は秋田県角館の城主盛安の子で、徳川家康に従い数々の功績を認められ、茨城県松岡四万石に封じられました。政盛は新庄に築城し、新庄藩の基礎を築きました。正実は若くして藩主となり、維新の変動期に官軍に属して新庄城を守りましたが、庄内勢により落城し、城下は全滅しました。

明治二年に藩籍を奉還し、その後、新庄藩知事に任命されました。旧領民はこの三人を祭神として戸沢神社に祀りました。ちなみに、戊辰戦争において官軍の旗印として与えられた菊花御紋の旗が靖国神社と戸沢神社に保存されています。

護国神社

護国神社は戊辰戦争以来の戦死者を祀っています。この神社は明治二年に新庄藩主の正実が、戊辰戦争の戦死者五十六名を祀るために太田の瑞雲院境内に建てました。その後、明治十六年に遺族の希望により吉川町に移され、さらに明治二十四年に現在地に移されました。

新庄春まつり

新庄春まつりは、新庄市随一のお花見スポットで、美味しいカド焼きも楽しめるイベントです。最上公園は4月下旬に桜の見頃を迎えます。4月20日から始まる春まつりでは、ぼんぼりが灯り、夜桜も楽しむことができます。

春になると、お堀端の約300本のソメイヨシノやシダレザクラが一斉に咲き誇り、花見の名所となります。公園内にある戸沢神社への参道にかかる橋からは、お堀に映った桜の景観が楽しめます。

新庄カド焼きまつり

4月29日から5月5日の間は、「新庄カド焼きまつり」が開催されます。これは春告魚と呼ばれるカド(ニシン)を焼いて春の訪れを祝うイベントで、お花見スポットとしておすすめです。

夜桜を照らすぼんぼりの点灯は18:30頃から21:00まで行われます。「カド焼きまつり」では、旬を迎えた脂の乗った大型のカド(ニシン)を蒸し焼きにした、新庄名物のカド焼きをたっぷりと味わうことができます。

カドは春告魚(はるつげうお)とも呼ばれ、豪雪地帯である新庄市では雪解けとともに入荷するカドを焼いて、見頃の桜とともに春の訪れを喜んだとされています。

Information

名称
新庄城址・最上公園
(しんじょうじょうし もがみ こうえん)
リンク
公式サイト
住所
山形県新庄市堀端町6-86

新庄

山形県