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旧有路家住宅(封人の家)

(きゅう ありじけ じゅうたく ほうじん いえ)

松尾芭蕉も泊まった古民家

旧有路家住宅(封人の家)は、山形県最上町にある江戸時代初期の古民家です。俳人・松尾芭蕉が奥の細道を行脚中に立ち寄ったとされる家としても有名です。「蚤虱馬の尿する枕もと」の句で詠まれたこの家は、芭蕉にとって印象深い場所であったことが伺えます。

山形県東部に古くから見られた茅葺き寄棟造りの広間型民家で、当時の庄屋の暮らしぶりを今に伝える貴重な建造物として、1969年(昭和44年)に国の重要文化財に指定されています。1971年(昭和46年)から1973年(昭和48年)にかけて解体復元修理が行われ、創建当時の様式で保存され、一般公開されています。

この住宅は「おくのほそ道」に記された堺田の「封人の家」とされ、松尾芭蕉が滞在した際の印象を「蚤虱馬の尿する枕もと」の句で表現したと言われています。「封人の家」とは国境を守る役人の家を指します。

建物の概要

旧有路家住宅は、江戸初期に建てられたと見られる大型民家で、桁行24.755メートル、梁間9.999メートル、平面積269.180平方メートル(約81坪)です。江戸期には新庄藩上小国郷堺田村の庄屋住宅であり、内部には床の間やいりざしきなどの5部屋と、内庭、内まや(厩)があります。

この建物は、庄屋役と問屋役を兼ね、街道筋の旅宿ともなり、馬産家としても熱心な有路家の歴史を反映しています。

松尾芭蕉と封人の家

元禄二年(1689年)、松尾芭蕉は門人の曾良を伴い、仙台領尿前の関を越え、出羽の国へと旅を急ぎました。しかし、「大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れてよしなき山中に逗留す」と「おくのほそ道」に綴られているように、大雨のため二泊三日この家に滞在しました。

その際、芭蕉は「蚤虱馬の尿する枕もと」と詠み、人馬が一つの家で寝食を共にする様子を表現しました。これは、小国が馬産地であり、馬を大切にする生活環境があったことを示しています。

有路家

旧有路家住宅は、山形県最上郡最上町大字堺田に位置します。有路家は、1638年から1647年頃までの間に独立した村となった堺田村で、代々この家に住み、村の庄屋を勤めてきました。建物は役屋(村役場)としての性格を持ち、問屋や旅館としての機能も備えていました。仙台藩領と新庄藩領の国境を守る役人という立場でもありました。

付近は1954年(昭和29年)に最上町となる以前は「小国」と名乗り、山形県内で随一の馬産地でした。江戸時代にも馬を寒さから守るため、家人の住まう主屋に飼っていたことが芭蕉の句の背景にあります。

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名称
旧有路家住宅(封人の家)
(きゅう ありじけ じゅうたく ほうじん いえ)

新庄

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