建築と歴史
旧矢作家住宅は、その構造から江戸時代中期(18世紀中期)に建てられたと推定される、最上地方の典型的中層農家の住宅です。もとは新庄市萩野地区内に建っており、19世紀初めに中門部分の建て替え、明治中頃と大正初期に改造増築が加えられましたが、新庄市が譲り受けてから1975年に解体の上、現在地へ移築して、古い形に復元されました。
この住宅は馬屋中門を突き出した片中門造りで、県内における同じ型の中でも最も古式豊かな構造を持つとされています。
構造と意匠
住宅の形態は、日本海側地域によく見られる片中門造りで、馬屋部分が前に張り出す構造です。間取りは、土間、まや(馬屋)2箇所、「にわ」と呼ばれる作業場が屋内の中心にあり、奥には「ながし」(台所)があります。
建物の中心には「えんなか」と呼ばれる居間があり、床板には囲炉裏が切られ、天井はなく、屋根材が張り出されています。「上のでん」、「下のでん」と呼ばれる寝室があり、「えんなか」より床が高く天井が張られています。庭の裏には豪雪地帯の特徴である冬場の融雪用の池が見られます。
上層下屋からなり、上屋柱がほとんど省略されていない点が注目されます。上屋柱は座敷(下のでん)を除き、断面多角の材を斧または手斧で仕上げてあり、意匠的効果も高めています。このような意味で、旧矢作家住宅は県内における片中門造りの中で最も古式な構造手法を示しています。
桁行(間口): 16.4m
梁間: 7.8m
構造: 寄棟造、北面下屋附属、中門 桁行5.3m、梁間5.8m、正面入母屋造、西面便所附属、茅葺