境内の様子
杉の木が高くそびえ立つ参道入口には仁王門があり、両脇には金剛力士像が立っています。本堂に通じる石畳の参道途中には十六羅漢像があり、文殊堂へは15分ほど石段を上ります。境内には老杉の大木が繁り、歴史の重みと厳かな雰囲気が漂います。
参道途中には、十六羅漢像や芭蕉句碑、「南無阿弥陀仏」と刻まれた義民高梨利右エ門の念仏碑があり、薬師如来を祀る払川薬師堂も見どころです。文殊堂背面には大日如来、普賢菩薩、虚空蔵菩薩が祀られ、また一山の守護神、蔵王権現も鎮座しています。
文殊堂の裏側には「利根水(りこんすい)」と呼ばれる水が湧き出ており、飲めばご利益があると昔から言われています。茶屋で一休みしながら名物のこんにゃくを食べるのも「文殊様」を訪れる楽しみの一つです。
文殊菩薩
文殊堂には知恵を司る菩薩である文殊菩薩が祀られており、中国では五台山がその浄土とされています。昔から「三人よれば文殊の知恵」と言われるように、学問の神様として広く知られています。そのため、入学試験や入社試験などの合格祈願に訪れる人が絶えません。
歴史
大聖寺の歴史は807年(大同2年)に遡ります。東北地方布教の勅命により徳一上人が当地に訪れ、五台山に似た山容に心打たれて文殊菩薩を安置したのが始まりと伝えられています。堂宇を建立し、古くは文殊寺と号していました。
戦国時代にはこの地方を領した伊達政宗の崇敬を受け、天正19年(1591年)に伊達政宗がこの地を去るときには、岩出山へ共に移る資福寺の古鐘を納めました。
関ヶ原の戦いの直後の慶長7年(1602年)には、直江兼続が奉納詩歌会を主催し、上杉家主従27名が集まって100首を奉納しました。この「亀岡百首」の直筆短冊のほとんどが現在も当寺に残っています。
江戸時代には徳川5代将軍 徳川綱吉の信仰を受け、中納言格と文殊堂領として朱印状が与えられました。現在の文殊堂は1914年(大正3年)に伊東忠太の設計で再建されました。
参拝とご利益
亀岡文殊には、知恵の文殊様が祀られているため、入学試験や入社試験などの合格祈願に訪れる人が後を絶ちません。文殊堂の裏側には「利根水(りこんすい)」と呼ばれる水が湧き出ており、飲めばご利益があると昔から言われています。
文殊堂隣の寺務所では、試験合格や学徳成就のお札やお守り、「知恵の鉛筆」などが販売されており、受験生へのお土産として喜ばれています。
茶屋で一休みしながら名物のこんにゃくを食べるのも「文殊様」を訪れる楽しみの一つです。
大聖寺の宝物
大聖寺本坊には、大日如来を本尊として祀り、他に桧の寄木造漆箔像の木造聖観世音菩薩立像(県指定)と阿弥陀、薬師像の2体があります。いずれも鎌倉時代の作とみられています。また、文殊尊に参詣し、大黒天の尊像を抱いて「軽くなり給え」と念じれば軽く、「重くなり給え」と念じれば重くなると言われています。