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米沢城址・松が岬公園

(よねざわじょうあと まつがみさき こうえん)

米沢城の遺構と上杉家の史跡

米沢城の本丸跡地を整備して開園した公園です。米沢城のお濠や石垣が残り、戦国最強の武将と語り継がれる上杉謙信や、「成せばなる 成さねばならぬ 何事も」の言葉で知られる上杉鷹山など、上杉家の史跡が点在しています。

上杉神社や上杉家の遺品を展示する稽照殿も敷地内にあります。また、独眼竜で有名な伊達政宗の生誕の地を示す石碑もあります。面積は4.40ヘクタールで、桜の名所としても知られています。

主な施設と見どころ

中央には上杉神社があり、濠外東方には松岬神社、南方には上杉記念館(旧上杉伯爵邸)や市立児童会館があります。公園内には上杉謙信公像や上杉鷹山公像、上杉神社稽照殿(宝物殿)、春日神社、福徳稲荷神社、招魂碑、上杉謙信公祠堂跡、曦山公碑、伊達政宗生誕の地標柱などが点在しています。

桜の名所

桜の名所でもあり、例年4月中下旬にはお堀沿いに約200本の桜が咲き誇ります。お堀の水面に映る桜や、お堀に架かる赤い橋と桜とのコントラストは風情があり、フォトジェニックな光景が広がります。10月下旬から11月上旬にかけては鮮やかに紅葉し、訪れる人々の目を楽しませてくれます。

米沢城

米沢城(よねざわじょう)は、山形県米沢市丸の内に位置する、平山城(中世から近世の日本の城)です。かつて長井氏や伊達氏の本拠地であり、江戸時代には米沢藩上杉氏の藩庁となりました。2017年には続日本100名城に選定されました。

城の構造

米沢城は、米沢市の中心に位置し、戦国時代後期には伊達氏の本拠地となりました。江戸時代には米沢藩の藩庁が置かれ、上杉景勝や上杉鷹山など歴代藩主が居住しました。城は本丸、二の丸、三の丸からなる輪郭式縄張りの構造で、10基の櫓と17棟の門がありました。上杉氏による築城(大改修)時には、石垣は少なく、土塁を多用し、天守の代わりに三階櫓を建てました。

現在の姿

現在、本丸跡は上杉神社の境内となっており、二の丸跡には米沢市上杉記念館(旧・上杉伯爵邸)があります。米沢図書館には、享保10年(1725年)と文化8年(1811年)の米沢城城下絵図が所蔵されています。

歴史

鎌倉時代
米沢城は鎌倉時代中期の暦仁元年(1238年)に、大江広元の次男・長井時広が築城したと伝えられています。時広はこの地の地名から長井姓を名乗り、以後150年近く長井氏が支配しました。

室町時代
室町時代初期には、長井氏8代広房が伊達宗遠に敗れ、以後は伊達氏が支配しました。天文17年(1548年)、伊達稙宗・晴宗父子の対立である天文の乱を経て、晴宗が本拠地を米沢城に移しました。

戦国・桃山時代
天正17年(1589年)、伊達政宗は蘆名氏を滅ぼし黒川城に本拠を移しましたが、翌年には米沢に戻りました。その後、米沢城は蒲生氏郷の支配下に入り、重臣・蒲生郷安が城主となりました。慶長2年(1597年)、上杉景勝が米沢城に入り、直江兼続が城主となりました。

江戸時代前期
慶長5年(1600年)、上杉景勝は徳川家康に対する宣戦布告に及び、米沢城から北上して東軍最上氏を攻めましたが、関ヶ原の戦いで西軍が敗北し、米沢に戻りました。これにより、上杉氏は米沢藩30万石に減封されました。

江戸時代中後期
9代藩主の治憲(鷹山)は藩政改革を行い、財政再建を果たしました。文化7年(1810年)には、「政治向き格別に行届き、領内治め方よろし」として表彰されました。上杉斉定も天保7年(1836年)に表彰されました。

幕末から明治
戊辰戦争では、上杉藩は奥羽越列藩同盟に加わり、戦後4万石を減封されました。明治2年(1869年)、版籍奉還により米沢藩知事となり、明治4年(1871年)には廃藩置県により米沢県が置かれました。

大正から昭和
大正8年(1919年)、米沢市内は大火に見舞われ、上杉神社・伯爵邸も類焼しました。現在の神社社殿は大正12年(1923年)に再建されたもので、伯爵邸も大正14年(1925年)に再建されました。昭和25年(1950年)、伯爵邸が米沢市に譲渡され、中央公民館として利用されました。

平成から21世紀
平成9年(1997年)、伯爵邸は登録有形文化財となりました。2017年(平成29年)には続日本100名城(109番)に選定されました。

米沢城 考古資料

遺構
土塁・堀・石垣

三ノ丸
三ノ丸土塁と西條天満神社は、粗町公園として整備されています。本殿と拝殿の建物が残り、「三ノ丸北東隅社が、明治政府の破城令を免れ遺されている」旨の石碑と案内板があります。

二の丸
・弁天橋
・餐霞館遺址:上杉鷹山の隠居屋敷跡
・旧・上杉伯爵邸(米沢市上杉記念館):登録有形文化財。洛中洛外図や上杉家文書など国宝が収蔵されています。
・上杉家廟所:城内にあった廟所は、城址から北西の現在地へ移転しています(国定史跡)。

本丸
・舞鶴橋:本丸の大手口。「龍」と「毘」の旗が立っています。
・菱門橋:本丸南側の堀に架かる鮮やかな赤色の橋で、藩主御殿からの南出入り口にあたります。
・本丸跡石垣:石垣の上に櫓台が残ります。
・北東隅三層櫓址:天守代わりの櫓址に有栖川宮熾仁親王題字の「上杉義山公」顕彰碑があります。
・北西隅三層櫓址:同じく天守代わりの櫓址があり、西参道で城外と通じます。
・本丸御殿址:「上杉神社 稽照殿」が建立されており、謙信所用「ビロード織西洋マント」などが所蔵されています。
・御堂跡:南東隅には上杉謙信を祀る御堂がありました。現在は長命寺の本堂として移築され現存しています。また、東大手門の礎石が現在市内川井に石碑として残っています。
・招魂碑:戊辰戦争と西南の役での両軍の戦死者を慰霊する石碑です。
・春日神社:上杉氏の氏神で、かつての春日山城より移転し、明治期に本丸南西隅に遷座しました。
・伊達政宗生誕地の石碑:永禄十年(1567年)、伊達政宗はこの米沢城で誕生しました(近年は館山城で誕生との異説もあります)。

上杉神社

上杉神社は、戦国最強の武将とされる上杉謙信を祭神として米沢城 本丸跡の松が岬公園に建立された神社です。旧社格は別格官幣社で、江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつです。上杉謙信にあやかって開運招福や諸願成就、学業成就や商売繁盛のご利益があるとされています。

Information

名称
米沢城址・松が岬公園
(よねざわじょうあと まつがみさき こうえん)
リンク
公式サイト
住所
山形県米沢市丸の内1
電話番号
0238-22-5111
料金

無料

駐車場
あり
アクセス

米沢駅からバスで10分

東北中央自動車道 米沢北ICより15分

米沢

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