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米沢城址・松が岬公園

(よねざわじょうあと まつがみさき こうえん)

米沢城の歴史と上杉家ゆかりの史跡が残る公園

米沢城址・松が岬公園は、山形県米沢市の中心部に位置し、かつての米沢城本丸跡を整備して造られた公園です。現在も城を囲んでいたお濠や土塁、石垣などの遺構が残されており、戦国時代から江戸時代にかけての米沢の歴史を感じることができます。

米沢城は、長井氏や伊達氏の本拠地となり、江戸時代には米沢藩上杉氏の藩庁が置かれました。上杉謙信や上杉景勝、上杉鷹山など、米沢の歴史を語るうえで欠かせない人物ゆかりの場所が公園周辺に数多く残されています。

園内の中央には上杉神社が鎮座し、上杉家ゆかりの宝物を展示する稽照殿もあります。また、伊達政宗の生誕地を示す石碑などもあり、上杉氏だけでなく米沢と伊達氏の歴史にも触れられる場所です。

城跡に残る歴史的な見どころ

公園内とその周辺には、米沢城の歴史を伝えるさまざまな史跡があります。上杉謙信公像や上杉鷹山公像をはじめ、春日神社、福徳稲荷神社、招魂碑、上杉謙信公祠堂跡、曦山公碑、伊達政宗生誕の地標柱などが点在しています。

城跡を歩きながら一つひとつの史跡を訪ねることで、米沢城と上杉家、そして城下町として発展してきた米沢の歴史を身近に感じることができます。

濠と石垣が伝える米沢城の姿

現在の米沢城は建物の多くが失われていますが、濠、土塁、石垣などの遺構が残されています。かつての城の規模や構造を想像しながら散策できるのが、城址公園ならではの魅力です。

桜と紅葉を楽しめる季節の名所

松が岬公園は、米沢を代表する桜の名所としても知られています。例年4月中旬から下旬頃になると、お濠沿いに約200本の桜が咲き誇ります。

お濠の水面に桜が映り、鮮やかな赤色の橋と淡い桜色が美しい景観をつくります。歴史的な城跡と春の花々が調和した風景は写真撮影にも適しており、毎年多くの花見客で賑わいます。

秋には木々が色づき、10月下旬から11月上旬頃には鮮やかな紅葉を楽しめます。春の桜とは異なる落ち着いた美しさがあり、四季を通じて城跡散策を楽しめます。

米沢城の構造と城址の見どころ

米沢城は、現在の米沢市中心部に築かれた平山城で、本丸、二の丸、三の丸からなる輪郭式の縄張りを持っていました。かつては10基の櫓と17棟の門が設けられていたとされます。

上杉氏が米沢城を整備した際には、石垣を多用する近世城郭とは異なり、土塁を主体とした構造が特徴でした。天守は築かれず、その代わりに三層櫓が設けられていました。

本丸跡

現在の本丸跡は、上杉神社の境内となっています。正面には舞鶴橋があり、本丸の大手口にあたります。橋の周辺には「龍」と「毘」の旗が立ち、上杉謙信ゆかりの雰囲気を感じさせます。

本丸南側の堀には、鮮やかな赤色の菱門橋が架かっています。かつて藩主御殿から南へ出入りするための場所で、現在も城跡を象徴する景観の一つとなっています。

本丸跡には石垣や櫓台も残されています。北東隅と北西隅には、かつて天守の代わりとして建てられた三層櫓の跡があり、米沢城の往時の姿をしのぶことができます。

上杉神社稽照殿と本丸御殿跡

かつての本丸御殿跡には、上杉神社稽照殿(宝物殿)があります。館内では、上杉家に伝わる貴重な品々が収蔵・展示されており、米沢の歴史と上杉家の文化をより深く知ることができます。

上杉謙信が所用したとされる「ビロード織西洋マント」など、歴史的な資料を見ることができるのも大きな魅力です。

春日神社と招魂碑

本丸南西隅には、上杉氏の氏神として知られる春日神社があります。もとは春日山城に祀られていた神社で、明治時代に現在の場所へ遷座しました。

また、境内には招魂碑もあります。戊辰戦争と西南の役における両軍の戦死者を慰霊するための碑で、幕末から明治にかけての歴史を伝える史跡の一つです。

二の丸・三の丸に残る城跡

米沢城址の見どころは本丸だけではありません。二の丸や三の丸にも、かつての城や上杉家に関係する史跡が残されています。

二の丸跡

二の丸跡には弁天橋や、上杉鷹山の隠居屋敷跡である餐霞館遺址があります。また、旧上杉伯爵邸である米沢市上杉記念館も二の丸跡に位置しています。

旧上杉伯爵邸は登録有形文化財となっており、上杉家に関する歴史資料などを通して、近代の米沢と上杉家の歩みを知ることができます。

かつて城内にあった上杉家廟所は現在、城址から北西に離れた場所へ移されていますが、上杉家を伝える重要な史跡として現在も残されています。

三の丸跡

三の丸土塁や西條天満神社は、現在の粗町公園周辺に整備されています。神社には本殿と拝殿が残され、かつての三の丸の面影を伝えています。

このほか、明治政府による城の取り壊しを免れて残されたとされる三の丸北東隅の遺構についても、石碑や案内板によってその歴史を知ることができます。

米沢城のはじまりと長井氏の時代

米沢城は、鎌倉時代中期の暦仁元年(1238年)に、大江広元の次男である長井時広が築いたと伝えられています。時広はこの地の地名から長井姓を名乗り、以後、約150年にわたって長井氏がこの地域を支配しました。

その後、室町時代初期になると、長井氏8代の広房が伊達宗遠に敗れ、米沢は伊達氏の支配下に入ります。

伊達氏の本拠地となった米沢城

戦国時代には米沢城は伊達氏の重要な拠点となりました。天文17年(1548年)には、伊達稙宗と晴宗父子の対立による天文の乱を経て、晴宗が本拠地を米沢城へ移しました。

伊達氏との関わりを示す史跡として、現在の城址には伊達政宗生誕の地を示す石碑もあります。永禄10年(1567年)、政宗は米沢城で誕生したとされてきましたが、近年では館山城で誕生したという異説もあります。

上杉氏の時代と米沢藩

天正17年(1589年)、伊達政宗が蘆名氏を滅ぼして黒川城へ本拠を移した後、翌年には米沢へ戻りました。その後、米沢城は蒲生氏郷の支配下に入り、重臣の蒲生郷安が城主となりました。

慶長2年(1597年)には上杉景勝が米沢城に入り、直江兼続が城主となりました。以後、米沢は上杉氏と深い関わりを持つことになります。

慶長5年(1600年)、上杉景勝は徳川家康との対立の中で米沢城から北上し、最上氏を攻めました。しかし関ヶ原の戦いで西軍が敗北すると米沢へ戻り、上杉氏は米沢藩30万石へ減封されました。

上杉鷹山による藩政改革

江戸時代中後期になると、米沢藩では9代藩主上杉治憲(鷹山)が藩政改革に取り組みました。財政難にあった藩の立て直しを進め、産業の振興などにも力を注ぎました。

その政治が評価され、文化7年(1810年)には「政治向き格別に行届き、領内治め方よろし」として表彰されています。また、上杉斉定も天保7年(1836年)に表彰されました。

現在の松が岬公園には上杉鷹山公像などもあり、米沢藩の歴史を伝える人物としてその功績を感じることができます。

幕末から近代へ移り変わる米沢城

幕末の戊辰戦争では、米沢藩は奥羽越列藩同盟に加わりました。戦後、藩領は4万石を減封され、明治2年(1869年)の版籍奉還によって米沢藩知事となりました。

さらに明治4年(1871年)の廃藩置県によって米沢県が置かれ、長く続いた藩の時代が終わります。城としての役割を終えた米沢城は、その後、史跡として保存されるとともに、地域の歴史を伝える場所へと姿を変えていきました。

大火を乗り越えて残る歴史

大正8年(1919年)、米沢市内を大火が襲い、上杉神社や旧上杉伯爵邸も被災しました。現在の上杉神社社殿は大正12年(1923年)に再建され、旧上杉伯爵邸も大正14年(1925年)に再建されています。

旧伯爵邸は昭和25年(1950年)に米沢市へ譲渡され、その後は中央公民館として利用されました。平成9年(1997年)には登録有形文化財となっています。

続日本100名城に選定された米沢城

米沢城は、かつての建物こそ多くが失われていますが、濠や土塁、石垣などの遺構や数多くの歴史的資料によって、その歴史を現在に伝えています。

また、米沢市立図書館には、享保10年(1725年)と文化8年(1811年)の米沢城城下絵図が所蔵されており、当時の城と城下町の様子を知る手がかりとなっています。

2017年(平成29年)には、米沢城が続日本100名城の109番に選定されました。歴史好きの人にとっても、往時の城郭を想像しながら散策を楽しめる場所です。

上杉謙信を祀る上杉神社

公園の中心に鎮座する上杉神社は、戦国時代の武将・上杉謙信を祭神として祀る神社です。米沢城本丸跡に建立され、現在の松が岬公園を象徴する存在となっています。

上杉謙信にあやかり、開運招福、諸願成就、学業成就、商売繁盛などを願う人々から信仰を集めています。歴史的な城跡と神社が一体となった独特の景観も、米沢城址の大きな魅力です。

上杉家の歴史をたどる城址公園

米沢城址・松が岬公園は、単なる公園ではなく、長井氏、伊達氏、蒲生氏、そして上杉氏へと受け継がれてきた米沢城の歴史を歩いてたどることができる場所です。

お濠や石垣を眺めながら上杉神社を参拝し、上杉謙信や上杉鷹山ゆかりの史跡、稽照殿、旧上杉伯爵邸などを巡れば、米沢の歴史をより深く感じることができます。

春には約200本の桜、秋には鮮やかな紅葉が城跡を彩り、季節ごとに異なる美しい風景にも出会えます。歴史散策と自然の景観を一緒に楽しめる、米沢観光の中心的なスポットです。

主な施設と見どころ

中央には上杉神社があり、濠外東方には松岬神社、南方には上杉記念館(旧上杉伯爵邸)や市立児童会館があります。公園内には上杉謙信公像や上杉鷹山公像、上杉神社稽照殿(宝物殿)、春日神社、福徳稲荷神社、招魂碑、上杉謙信公祠堂跡、曦山公碑、伊達政宗生誕の地標柱などが点在しています。

桜の名所

桜の名所でもあり、例年4月中下旬にはお堀沿いに約200本の桜が咲き誇ります。お堀の水面に映る桜や、お堀に架かる赤い橋と桜とのコントラストは風情があり、フォトジェニックな光景が広がります。10月下旬から11月上旬にかけては鮮やかに紅葉し、訪れる人々の目を楽しませてくれます。

米沢城

米沢城(よねざわじょう)は、山形県米沢市丸の内に位置する、平山城(中世から近世の日本の城)です。かつて長井氏や伊達氏の本拠地であり、江戸時代には米沢藩上杉氏の藩庁となりました。2017年には続日本100名城に選定されました。

城の構造

米沢城は、米沢市の中心に位置し、戦国時代後期には伊達氏の本拠地となりました。江戸時代には米沢藩の藩庁が置かれ、上杉景勝や上杉鷹山など歴代藩主が居住しました。城は本丸、二の丸、三の丸からなる輪郭式縄張りの構造で、10基の櫓と17棟の門がありました。上杉氏による築城(大改修)時には、石垣は少なく、土塁を多用し、天守の代わりに三階櫓を建てました。

現在の姿

現在、本丸跡は上杉神社の境内となっており、二の丸跡には米沢市上杉記念館(旧・上杉伯爵邸)があります。米沢図書館には、享保10年(1725年)と文化8年(1811年)の米沢城城下絵図が所蔵されています。

歴史

鎌倉時代
米沢城は鎌倉時代中期の暦仁元年(1238年)に、大江広元の次男・長井時広が築城したと伝えられています。時広はこの地の地名から長井姓を名乗り、以後150年近く長井氏が支配しました。

室町時代
室町時代初期には、長井氏8代広房が伊達宗遠に敗れ、以後は伊達氏が支配しました。天文17年(1548年)、伊達稙宗・晴宗父子の対立である天文の乱を経て、晴宗が本拠地を米沢城に移しました。

戦国・桃山時代
天正17年(1589年)、伊達政宗は蘆名氏を滅ぼし黒川城に本拠を移しましたが、翌年には米沢に戻りました。その後、米沢城は蒲生氏郷の支配下に入り、重臣・蒲生郷安が城主となりました。慶長2年(1597年)、上杉景勝が米沢城に入り、直江兼続が城主となりました。

江戸時代前期
慶長5年(1600年)、上杉景勝は徳川家康に対する宣戦布告に及び、米沢城から北上して東軍最上氏を攻めましたが、関ヶ原の戦いで西軍が敗北し、米沢に戻りました。これにより、上杉氏は米沢藩30万石に減封されました。

江戸時代中後期
9代藩主の治憲(鷹山)は藩政改革を行い、財政再建を果たしました。文化7年(1810年)には、「政治向き格別に行届き、領内治め方よろし」として表彰されました。上杉斉定も天保7年(1836年)に表彰されました。

幕末から明治
戊辰戦争では、上杉藩は奥羽越列藩同盟に加わり、戦後4万石を減封されました。明治2年(1869年)、版籍奉還により米沢藩知事となり、明治4年(1871年)には廃藩置県により米沢県が置かれました。

大正から昭和
大正8年(1919年)、米沢市内は大火に見舞われ、上杉神社・伯爵邸も類焼しました。現在の神社社殿は大正12年(1923年)に再建されたもので、伯爵邸も大正14年(1925年)に再建されました。昭和25年(1950年)、伯爵邸が米沢市に譲渡され、中央公民館として利用されました。

平成から21世紀
平成9年(1997年)、伯爵邸は登録有形文化財となりました。2017年(平成29年)には続日本100名城(109番)に選定されました。

米沢城 考古資料

遺構
土塁・堀・石垣

三ノ丸
三ノ丸土塁と西條天満神社は、粗町公園として整備されています。本殿と拝殿の建物が残り、「三ノ丸北東隅社が、明治政府の破城令を免れ遺されている」旨の石碑と案内板があります。

二の丸
・弁天橋
・餐霞館遺址:上杉鷹山の隠居屋敷跡
・旧・上杉伯爵邸(米沢市上杉記念館):登録有形文化財。洛中洛外図や上杉家文書など国宝が収蔵されています。
・上杉家廟所:城内にあった廟所は、城址から北西の現在地へ移転しています(国定史跡)。

本丸
・舞鶴橋:本丸の大手口。「龍」と「毘」の旗が立っています。
・菱門橋:本丸南側の堀に架かる鮮やかな赤色の橋で、藩主御殿からの南出入り口にあたります。
・本丸跡石垣:石垣の上に櫓台が残ります。
・北東隅三層櫓址:天守代わりの櫓址に有栖川宮熾仁親王題字の「上杉義山公」顕彰碑があります。
・北西隅三層櫓址:同じく天守代わりの櫓址があり、西参道で城外と通じます。
・本丸御殿址:「上杉神社 稽照殿」が建立されており、謙信所用「ビロード織西洋マント」などが所蔵されています。
・御堂跡:南東隅には上杉謙信を祀る御堂がありました。現在は長命寺の本堂として移築され現存しています。また、東大手門の礎石が現在市内川井に石碑として残っています。
・招魂碑:戊辰戦争と西南の役での両軍の戦死者を慰霊する石碑です。
・春日神社:上杉氏の氏神で、かつての春日山城より移転し、明治期に本丸南西隅に遷座しました。
・伊達政宗生誕地の石碑:永禄十年(1567年)、伊達政宗はこの米沢城で誕生しました(近年は館山城で誕生との異説もあります)。

上杉神社

上杉神社は、戦国最強の武将とされる上杉謙信を祭神として米沢城 本丸跡の松が岬公園に建立された神社です。旧社格は別格官幣社で、江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつです。上杉謙信にあやかって開運招福や諸願成就、学業成就や商売繁盛のご利益があるとされています。

Information

名称
米沢城址・松が岬公園
(よねざわじょうあと まつがみさき こうえん)
リンク
公式サイト
住所
山形県米沢市丸の内1
電話番号
0238-22-5111
料金

無料

駐車場
あり
アクセス

米沢駅からバスで10分

東北中央自動車道 米沢北ICより15分

米沢

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