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上杉記念館(上杉伯爵邸)

(うえすぎ きねんかん)

四季の景色を楽しめる、歴史ある邸宅と日本庭園

上杉記念館(旧上杉伯爵邸)は、山形県米沢市にある歴史的な邸宅です。かつての米沢城二の丸跡に建ち、上杉家ゆかりの歴史と文化を今に伝えています。

1896年(明治29年)に、上杉家14代当主・上杉茂憲(もちのり)伯爵の本宅として建てられました。当時は約5,000坪の敷地に建坪約530坪という大規模な邸宅でしたが、1919年(大正8年)の米沢大火によって焼失しました。

その後、1925年(大正14年)に再建され、現在の建物が完成しました。総ヒノキの入母屋造りによる純日本風の邸宅と、東京の浜離宮庭園を模して造られた美しい日本庭園が特徴です。

かつては「鶴鳴館(かくめいかん)」と呼ばれ、皇族の御宿所として利用されたこともあります。歴史的・文化的価値が認められ、1997年(平成9年)には国の登録有形文化財に登録されています。

美しい日本庭園を眺めながら味わう米沢の郷土料理

現在の上杉伯爵邸は、歴史的な建物を見学するだけでなく、米沢の郷土料理を味わえる場所としても利用されています。

特に特徴的なのが、米沢に伝わる食文化「かてもの」です。「かてもの」とは、凶作や飢饉による食糧不足に備え、主食に植物などを加えて量を増やし、食生活を支えるために考えられた食物です。

歴史ある邸宅の落ち着いた雰囲気の中で、四季折々の庭園を眺めながら、先人たちの知恵から生まれた郷土料理を味わうことができます。

四季を映す浜離宮ゆかりの庭園

邸宅を囲む日本庭園は、東京の浜離宮庭園を模して造られた庭園です。建物の純日本風の造りと調和し、落ち着きのある美しい景観をつくり出しています。

春の新緑、夏の深い緑、秋の紅葉、冬の雪景色など、季節によって異なる表情を見せるため、訪れる時期によって違った魅力を楽しめます。

上杉伯爵邸の歴史

明治時代に建てられた上杉家の本宅

上杉伯爵邸は、1896年(明治29年)に上杉家14代・上杉茂憲伯爵の本宅として、旧米沢城二の丸跡に建てられました。

広大な敷地に建てられた大邸宅でしたが、1919年(大正8年)の米沢大火によって焼失しました。

大正時代に再建された現在の建物

1925年(大正14年)、焼失した邸宅は再建されました。銅板葺き・総ヒノキの入母屋造りという格式ある建築で、純日本風の美しい外観に仕上げられています。

設計は建築家の中條精一郎、施工は名棟梁として知られた江部栄蔵が担当しました。建物と庭園が一体となった品格ある空間は、当時の上杉家の格式を今に伝えています。

その後、皇族の御宿所として利用されたこともあり、米沢の近代史を伝える貴重な建築物となっています。1997年(平成9年)には、文化庁によって国の登録有形文化財に登録されました。

上杉鷹山と「かてもの」の食文化

上杉伯爵邸を訪れる際に知っておきたいのが、米沢藩の改革で知られる上杉鷹山と「かてもの」の深い関わりです。

上杉家第9代藩主の鷹山は、藩の財政難や凶作に対応するため、倹約だけでなく産業振興や教育など、さまざまな改革に取り組みました。

特に凶作による食糧不足に備えるため、藩医に命じて食用となる植物について研究させ、その成果をまとめた食の手引書が「かてもの」です。

暮らしを支えた「かてもの」

「かてもの」には、主食に加えて食べることができる82種類の植物について、その食べ方などが詳しく記されています。また、味噌の製造法や干物の作り方、魚・鳥・獣肉の調理法など、食生活を支えるさまざまな知恵も紹介されています。

こうした取り組みは、米沢藩の人々が凶作を乗り越えるための重要な知恵となりました。その食文化は現在にも受け継がれ、米沢地方の郷土料理の一つとして親しまれています。

米沢藩を再建した上杉鷹山

若くして藩主となった改革者

上杉鷹山は、1751年(宝暦元年)に日向国高鍋藩主・秋月種美の次男として生まれました。幼名は松五郎で、母方の祖母が米沢藩4代藩主・上杉綱憲の娘であったことから、1760年(宝暦10年)に米沢藩8代藩主・上杉重定の養子となりました。

1767年(明和4年)、17歳の若さで家督を継ぎ、米沢藩15万石の藩主となります。当時の米沢藩は財政難に加え、家臣の間にも対立が生じるなど、厳しい状況にありました。

倹約と産業振興による藩政改革

鷹山は藩の立て直しを目指し、まず倹約政策を進めました。藩の支出を見直して無駄を減らす一方、地域の産業を育てることで収入を増やす取り組みも行いました。

米沢織や米沢鯉、深山和紙などの産業振興に力を入れ、藩の経済基盤の強化を図りました。また、教育にも力を注ぎ、藩校「興譲館」を通じて人材育成を進めました。

鷹山が進めた主な改革

大倹約令:藩の支出を大幅に見直し、無駄を省く倹約政策を実施しました。

産業振興:米沢織、米沢鯉、深山和紙などの産業を育て、藩の経済基盤の強化を図りました。

藩校「興譲館」:教育を重視し、藩士の子弟を教育するための藩校を整備しました。

藩政改革:行政制度や藩政のあり方を見直し、藩全体の立て直しに取り組みました。

「なせば成る」に込められた信念

上杉鷹山の言葉として広く知られているのが、「なせば成る なさねば成らぬ 何事も」です。

この言葉は、何事も努力して取り組まなければ成し遂げられないという、鷹山の強い意志を表すものとして現在も知られています。厳しい状況の中で改革を進めた鷹山の姿勢を象徴する言葉の一つです。

後世に受け継がれる上杉鷹山の功績

鷹山は35歳で家督を譲って隠居しましたが、その後も藩政を支え続けました。倹約、産業振興、教育、食糧対策など幅広い分野に取り組んだ改革は、米沢の歴史に大きな影響を与えています。

1822年(文政5年)、72歳で生涯を閉じましたが、その功績と考え方は現在の米沢にも受け継がれています。特に「かてもの」に代表される食の知恵は、地域の郷土料理を通して今も伝えられています。

歴史と食文化を一度に楽しめる上杉記念館

上杉記念館(上杉伯爵邸)は、上杉家ゆかりの歴史的な邸宅と美しい日本庭園を楽しめる文化スポットです。明治・大正期の建築美に触れながら、四季折々の庭園を眺めることができます。

さらに、上杉鷹山の改革と深く関わる「かてもの」をはじめとした米沢の郷土料理を味わえることも大きな魅力です。建物、庭園、食文化を通して、米沢の歴史と上杉家の文化をじっくり感じられる場所です。

米沢の郷土料理と美しい庭園

上杉伯爵邸は現在、米沢の郷土料理「かてもの」を味わうことができる唯一の館として開放されています。「かてもの」とは、飢饉による凶作からの飢えを救うために主食に植物などを混ぜて増量し、空腹を癒した食物です。

東京の浜離宮庭園を模して造られた庭園を眺めながら、歴史の味を再現した伝統の郷土料理をぜひ味わってみてください。

上杉伯爵邸の歴史

上杉伯爵邸は、明治29年に元米沢城二の丸跡に上杉家14代茂憲(もちのり)伯爵の本宅として建てられました。当時の敷地は約5,000坪、建坪530坪という壮大な大邸宅でしたが、大正8年の米沢大火で焼失しました。その後、大正14年に銅板葦き、総ヒノキの入母屋造りの建物と、東京浜離宮を模した庭園が完成しました。

設計者は中條精一郎、施工は名棟梁江部栄蔵によるもので、かつては皇族の御宿所ともなった文化財的価値のある邸宅でした。平成9年には国(文化庁)によって登録有形文化財に指定されています。

上杉鷹山とかてもの

上杉家第9代藩主上杉鷹山公は、凶作に備えるために「かてもの」という食の手引書を編纂し、藩内に配布しました。この手引書のおかげで、米沢のみならず他県にまで広く食糧事情を救うために役立ちました。

飢饉による凶作から領民を救うために、貯蔵米を多くすることや、主食のかてとして食べられる植物の研究が進められました。「かてもの」は天明3年の凶作以降、藩医に命じて進められた研究成果をまとめたものです。

内容は主食のかてになる植物82種の食べ方を詳しく説明し、味噌の製造法、干物の作り方、魚・鳥・獣の肉の調理法などが含まれています。この書は後の大飢饉にも役立ち、米沢地方のみならず他県にも広く食糧事情を救うために役立ちました。現在も多くの教えが郷土料理として受け継がれ、米沢地方で生活に息づいています。

上杉 鷹山:米沢藩を再生させた名君

波乱の時代を生き抜いた、改革の旗手

上杉鷹山は、宝暦元年(1751年)に日向国(宮崎県)高鍋藩主・秋月種美の次男として生まれました。幼名は松五郎。母方の祖母は米沢藩4代藩主・上杉綱憲の娘であり、その縁で宝暦10年(1760年)に米沢藩8代藩主・上杉重定の養子となります。

明和4年(1767年)、17歳という若さで家督を継ぎ、米沢藩15万石の藩主となりました。当時の米沢藩は、財政難と家臣の不和という深刻な問題を抱えていました。

苦難を乗り越え、藩政改革を断行

上杉鷹山は、藩の窮状を打開すべく、決断的な行動に出ます。まず、徹底した倹約政策を推進し、無駄な支出を大幅に削減しました。さらに、産業振興に力を入れ、米沢織、米沢鯉、深山和紙などの特産品を育成し、藩の財政基盤を強化しました。

また、教育にも力を入れ、藩校「興譲館」を設立し、人材育成にも尽力しました。さらに、家臣たちの意識改革にも取り組み、藩全体の一体感を高めました。

大倹約令:藩の支出を大幅に削減し、無駄を省く政策を実施。

産業開発:新しい産業を興し、藩の経済基盤を強化。特に米沢織、米沢鯉、深山和紙などが有名。

藩校興譲館の創立:教育の重要性を認識し、藩士の子弟を教育するための藩校興譲館を設立。

政務の革新:藩政の効率を高めるため、行政制度の改革を実施。

名言「なせば成る」に込められた信念

上杉鷹山は、「なせば成る なさねば成らぬ 何事も」という言葉を残しています。これは、「努力すれば必ず成し遂げられる。努力しなければ何も成し遂げられない」という意味であり、彼の強い信念と意志が込められた言葉です。

困難に立ち向かう勇気と、先見の明

上杉鷹山の改革は、多くの困難と反対に直面しました。しかし、彼は挫けることなく、強い意志で改革を推し進めました。その結果、米沢藩は見事に再建され、江戸時代随一の模範的な藩へと生まれ変わりました。

後世に受け継がれる、その功績と精神

上杉鷹山は35歳で家督を譲り、隠居しましたが、その後も藩政を補佐し続けました。彼の改革は、米沢藩に持続的な繁栄をもたらし、その精神は現在も受け継がれています。

上杉鷹山は文政5年(1822年)に72歳で生涯を閉じました。しかし、その業績と精神は、米沢の人々だけでなく、日本全国の人々に深い影響を与え続けています。

Information

名称
上杉記念館(上杉伯爵邸)
(うえすぎ きねんかん)
リンク
公式サイト
住所
山形県米沢市丸の内1-3-60
電話番号
0238-21-5121
営業時間

●庭園 24時間出入り自由
●館内 10:00~17:00自由見学可
●食事営業時間 11:00~21:00 予約優先 (14:30以降予約制)
●茶房営業時間 11:00~14:00

定休日

4月~11月 第2、4水曜日
12月~3月 毎週水曜日

料金

見学無料

駐車場
20台
アクセス

JR米沢駅よりタクシー約10分
東北自動車道 福島飯坂ICより約50分

米沢

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