国宝 上杉本洛中洛外図屏風
天正2年(1574年)に織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝えられ、米沢藩上杉家に伝来しました。平成7年に国宝に指定されました。筆者は桃山時代を代表する画家・狩野永徳で、京の都を一望し、洛中(市中)と洛外(郊外)の四季と、そこに暮らす人々の生活風俗を描いています。
この屏風には約2500人の人物が老若男女、身分、職業を問わず描かれており、動物や植物、名所や祭りなど当時の京都の様子が伺えます。保存状態も良好で、日本美術を代表する作品とされています。
普段はレプリカの展示ですが、特別展が開催される春と秋には期間限定で原本が展示されます。上杉博物館では、常設展示や企画展、講演会、ワークショップなどを通じて、詳しく紹介しています。
洛中洛外図の世界
大型スクリーンに映し出される解説映像では、屏風 洛中洛外図に描かれた京の町や人々の生き生きとした暮らしぶりを見ることができます。人物は、実際に屏風に登場する人々が基になっています。
屏風とは
屏風は、室内で風や視線を遮るための可動式の調度品です。室町時代初期には左右一双で一組とする形式「六曲一双」が確立し、その後の屏風の主流となりました。右隻と左隻の六曲の場合、右から一扇、二扇〜六扇と数えます。江戸時代には「合戦図屏風」も多く作られるようになりました。
国宝 上杉家文書
上杉家文書は旧米沢藩主であった上杉家に伝来した鎌倉時代から江戸時代までの古文書群です。2018通、4帖、26冊が平成13年(2001年)に武家文書として初めて国宝に指定されました。
近世に米沢藩となった上杉氏は、もともと越後国の守護代であった長尾氏の系譜を引く氏族です。戦国期に長尾景虎(上杉謙信)が関東管領・山内上杉氏の名跡を継いで以降、上杉氏を称するようになりました。上杉家文書には謙信期以降の戦国大名や近世大名としての上杉家の文書に加え、関東を拠点とした山内上杉氏、越後長尾氏に伝わる文書群が含まれています。
近代まで上杉家の子孫が所持していましたが、平成元年(1989年)に上杉家より米沢市に寄贈され、現在は米沢市上杉博物館が保管しています。
本文書の特色は、大部分の文書が軸装や巻子装などに改装されずに保存されている点です。書札礼を考察する際に重要な折り方や包み方などが、上杉家で受け取った時のままの形態で保存されており、文書の本来の形態を知る上で学術的価値が高いとされています。
伝国の杜では、常設展示室内「上杉文華館」において、国宝「上杉家文書」を常時展示しています(2ヶ月ごとに展示替え)。
鷹山シアター
上杉鷹山の改革を紹介するシアターでは、俳優を起用したドラマ仕立ての映像や、米沢織の最新技術を用いたグラフィック、当時の置賜地方や米沢城下をイメージしたジオラマなど、様々な工夫を凝らしています。
主要展示品と文化財
米沢市上杉博物館では、上杉鷹山など上杉氏に関連する展示を中心に、伊達氏や市内の古墳に関する展示も行っています。
国宝
紙本金地著色洛中洛外図(上杉本洛中洛外図) 狩野永徳筆 六曲屏風一双
上杉家文書 2,018通、4帖、26冊(附:歴代年譜325冊、両掛入文書箱等並赤箪笥3合2棹)
重要文化財
越後国頸城郡絵図・越後国瀬波郡絵図 2鋪(附:越後国絵図1鋪)
長尾上杉氏印章(晴景、謙信、景勝所用)27顆(寄託品)
太刀 銘一(号姫鶴一文字)
伝国の杜 館内
エントランス
正面入口を入ったところで、能舞台が展示されています。能や狂言を上演する際には、能舞台は空気浮上式で床からわずかに浮き上がり、ホール内のステージへと移動します。
置賜文化ホール
置賜文化ホールは、客席数500席のホールで、音楽や演劇などを行う舞台形式です。可動式能舞台も併設されており、エントランスホールに展示されている能舞台が空気浮上方式で移動する仕組みになっています。
展望室
常設展示室の奥には、野外施設を見渡せる展望室があります。
ミュージアムショップ
上杉謙信や鷹山、直江兼続のオリジナルグッズを販売するミュージアムショップもあり、ここでしか手に入らない品も多数揃っています。
行屋
置賜地方では、飯豊山や出羽三山を崇める山岳信仰が盛んで、男子が13〜15歳になると、成人の儀礼としてこれらの山に登拝する習わしがありました。行屋は登拝前にこもり、水垢離をとって身を清めるための建物で、江戸時代末期に米沢市六郷町桐原で使用されました。国の重要有形民俗文化財に指定されています。
上杉神社の稽照殿
上杉謙信、景勝の武具甲冑や遺品、直江兼続の甲冑(「愛」の前立の兜)などは、上杉神社の稽照殿に収蔵・展示されています。
松が岬公園(米沢城址)
隣接する松が岬公園には、上杉謙信を祀る上杉神社や上杉鷹山の銅像など、上杉家ゆかりの碑が多数あります。