歴史
平安時代の天慶から天暦年間(938年 - 957年)に、天台宗の妙達によって草庵が結ばれ、龍華寺と呼ばれたのが始まりです。鎌倉時代の延慶年間(1308年 - 1311年)には、總持寺二世の峨山韶碩が龍華寺跡で教化を行いました。室町時代の永享年間(1429年 - 1441年)には、韶碩の七世法孫である曹洞宗の僧・太年浄椿がその遺志を継ぎ、諸堂を復興し、寺号を善寳寺と改めました。
天保4年(1833年)に再建された龍王殿や安政2年(1855年)に寄進された五百羅漢堂、文久2年(1862年)に再建された山門、1883年(明治16年)に建立された五重塔などの諸堂があります。また、菱田春草による「王昭君の図」(国の重要文化財)なども所蔵しています。
1982年には、鶴岡高専教授の斉藤信義が住職に就任しました。1990年(平成2年)頃には、貝喰池のコイが「人面魚」として注目されました。2016年には妙達上人生誕1150年祭に合わせ、初の龍王殿ご尊体のご開帳が行われました。2017年には、妙達上人の木像遷座開眼法要が行われました。作成は京仏師櫻井覺山です。
龍王殿
龍王殿は龍神様を祀るために創立され、荘厳な権現造りの伽藍です。善寳寺開山の太年浄椿禅師が文安三年(1446年)に創建したと伝えられています。
現在の建物は天保四年(1833年)に再建されたもので、龍の王が棲むといわれる竜宮城を模して造られ、海の波「うねり」を模した亀甲葺と呼ばれる八棟造形式の銅板屋根を持っています。建物の彫り物には、波に鯉、鯱、雲、草花などが多様に配され、龍と海との繋がりを表しているといわれます。
五重塔
五重塔は明治十六年(1883年)に、三十三世中興月圓禅山和尚の発願により建立が始まりました。十年後の明治二十六年(1893年)に三十四世別傳禅法和尚代に落成しました。高さ38メートル余りの総欅造り、屋根は銅板葺きで、内部には五智如来を表す仏像が祀られています。塔の外部には三蔵法師、深沙大将、十二神将が彫り込まれています。
五百羅漢堂
五百羅漢堂には531体もの羅漢像があり、それぞれ異なる表情やポーズを持ち、衣の模様やデザインに至るまで同じものはありません。五百羅漢堂は安政二年(1855年)に三十二世月巖不傳和尚代に落成しました。
内部には釈迦三尊や十大弟子の仏像が安置されており、「十六羅漢」と「五百羅漢さま」として知られています。北海道松前郡の豪商から寄進されたこの堂は、北前船航路の交流と繁栄を偲ばせるものです。
山門
山門は文久二年(1862年)に再建されました。総欅造りで銅板葺きの二重門であり、楼上には「宝冠釈迦如来」と「十六羅漢」が安置されています。門内部両脇には右に「毘沙門天」左に「韋駄天」が門を護ります。門の正面および内部には精巧な彫り物が施され、特に正面の円柱と後方の唐獅子は棟梁とその弟が技を競った力作とされています。
総門
総門は安政三年(1856年)に再建され、床は石敷、材は欅で彩色は施されていません。十二支の他に立体的な彫刻で装飾されている四脚門で、龍が持っている「宝珠」は「如意宝珠」で願い事が叶うといわれています。戦時中に十二支の酉(とり)が盗まれ、一支欠けています
龍華庵
龍華庵は善寳寺の前身である「龍華寺」に由来します。明治十三年(1880年)に現在地へ再建され、本尊は観音菩薩です。内陣天井には雲龍図が描かれています。
三尊の石仏
境内には、子安地蔵尊、満州親子地蔵尊、弥勒菩薩像の三尊の石仏があります。また、六つの登録有形文化財があり、自然豊かな広大な境内を有しています。