歴史
寛永6年(1629年)、幕命により上山に配流された沢庵禅師に対して、当時の城主である土岐山城守頼行が庵を造り与えました。禅師はこの庵を「春雨庵」と名づけ、3年間を過ごしました。
沢庵和尚が江戸に帰った後も、春雨庵での生活は彼の心に残り、土岐頼行は江戸品川の東海寺の境内に塔頭を建立し、その名も「春雨庵」と名づけました。
現在の春雨庵の建物は、沢庵和尚が過ごした当時の面影を残しつつ、当時の遺跡を基に江戸時代の茶室や庭園が復元されています。また、沢庵和尚に関する資料も展示されています。春雨の井や茶室聴雨亭が江戸時代の面影をしのばせています。
茶室と石燈籠
敷地内には、国宝の待庵の造りを踏襲した茶室・聴雨亭も併設されています。また、土岐家の江戸屋敷にあった石燈籠の一部が園内に移築されています。春雨庵は1953年に山形県指定史跡に指定されました。
見どころ
沢庵和尚像: 春雨庵の敷地内に鎮座する像。
春雨の井: 沢庵和尚が自ら掘ったとされる井戸。
茶室 聴雨亭: 国宝の待庵の造りを踏襲した茶室。
沢庵和尚に関する資料: 書簡や遺品などが展示されています。
沢庵和尚
沢庵宗彭(たくあんそうほう、1573年~1646年)は、江戸時代初期の曹洞宗の僧侶であり、武将・茶人・書家・詩人としても活躍した人物です。たくあん漬けの考案者としても広く知られています。
幼少期に父を亡くし、出家して僧侶となります。その後、京都の大徳寺で修行を積み、紫衣事件で出羽国・上山城下に流罪となるなど、波乱万丈な人生を送りました。
多方面で残した業績
流罪先の上山城下では、城主・土岐頼行の庇護を受け、春雨庵を拠点として活動しました。その後、徳川家康に召し出されてからは、家康の側室・お万の方の指南役を務めるなど、幕府の重臣と親交を深めました。
沢庵和尚は、禅僧としてだけではなく、武将・茶人・書家・詩人など、様々な分野で活躍しました。特に有名なのが、たくあん漬けの考案です。また、茶の湯に造詣が深く、茶書『茶禅一味』を著すなど、茶文化の発展にも貢献しました。書家としても優れ、多くの墨跡を残しています。