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もみじ公園・清風荘(旧宝幢寺書院)

(紅葉 こうえん せいふうそう きゅう ほうどうじ しょいん)

かつての巨刹・宝幢寺跡の池泉回遊式庭園

もみじ公園について

もみじ公園は、真言宗の巨刹である宝幢寺の跡地に作られた遠州流池泉回遊式庭園です。山形市が都市公園として整備し、市民に開放しています。園内には、山形市中央公民館分館である「清風荘」や、茶室「宝紅庵」が併設されています。

もみじ公園(旧宝幢寺庭)の由来

もみじ公園の庭園は、かつて真言宗の巨刹であった宝幢寺の池泉回遊式庭園です。宝幢寺は御朱印1370石の格式を持つ寺院でした。

元禄初期(1688~)には、山形城主松平大和守直矩公が姫の病気平癒の祈願のお礼として庭園を寄進したと伝えられていました。しかし、最近の資料によると、寛文年間(1661~)に松平下総守忠弘公が城内本丸庭園を造り直した際、その余石と吉野のもみじを用いてこの庭園も改築したとされています。忠弘公は、江戸から招いた幕府庭師と共に石組に手を加え、庭園を完成させました。

宝幢寺の廃寺と公園の修復

宝幢寺は明治初期に廃寺となり、寺郭が取り払われました。山形市は昭和26年から31年にかけて宝幢寺跡を買収し、都市公園として整備しました。当時から園内にあった旧日本書院は「清風荘」と名づけられ、市民に開放されました。

昭和54年10月には茶室「宝紅庵」を併設し、昭和56年3月には「清風荘」を昔の姿に復元するために全面改装しました。その後、昭和58年から昭和59年にかけて庭園の大規模な修復工事が行われ、閑雅な池泉回遊式庭園として再生されました。

清風荘(旧宝幢寺書院)

清風荘は、かつて宝幢寺の書院であり、北側にある池泉回遊式庭園を臨む位置に建っています。片入母屋の屋根を架けた簡素な外観ですが、内部は高い格式を示す上段の間に端正な床、棚、付書院が設けられ、上質な書院造の遺構となっています。

清風荘は江戸時代(1751-1829年)に建てられた木造平屋建ての建物で、建築面積は290㎡です。山形市東原町2-16-7に位置し、2001年11月20日に登録有形文化財(建造物)に登録されました。

宝幢寺の歴史

宝幢寺(ほうどうじ)は、かつて山形市に存在した真言宗の寺院で、正式名称は摩訶伽羅山宝珠院宝幢寺です。創建は不明ですが、奈良時代(西暦700年代初めごろ)に山形市西部の滝平に開かれたと伝わります。

延文2年(1357年)、山形城の初代城主となる斯波兼頼が山形城内に宝幢寺を祈願所として移しました。寛文2年(1662年)には山形城主松平忠弘が宝幢寺の庭園を改築し、現在も残る池泉回遊式庭園がこの時に作られました。明治3(1870年)に廃寺となり、その後、出羽国分寺薬師堂の金堂は宝幢寺の本堂を移築して新たな薬師堂として再建されました。

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名称
もみじ公園・清風荘(旧宝幢寺書院)
(紅葉 こうえん せいふうそう きゅう ほうどうじ しょいん)

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