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日本一公園(楯山公園)

(にほんいち こうえん たてやま)

雄大な眺めと歴史を感じられる公園

最上川と左沢の街並みを一望できるスポット

「日本一公園」として知られる楯山公園は、JR左沢(あてらざわ)線の終点、左沢駅の北側の高台に位置しています。この公園は地元の豪族、大江氏の左沢楯山城跡地にあります。

眼下には、ダイナミックに湾曲する最上川と、重要文化的景観に選ばれている左沢の街並み、東に広がる村山盆地、西にそびえる朝日連峰が一望できます。この眺望の良さから、1997年(平成9年)には最上川ビューポイントに、2002年(平成14年)には日本遊歩百選に選定されました。

左沢楯山城跡の歴史と文化

左沢楯山城跡は国指定文化財の指定を受けています。春になると頂上にある東屋付近の桜の花が咲き、花見も楽しめます。左沢楯山城(あてらざわたてやまじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘左沢(山形県西村山郡大江町)にあった日本の城で、城跡は国の史跡に指定されています。

左沢は最上川の流れに臨み、五百川(いもかわ)渓谷を経て置賜地方と村山地方を結ぶ軍事上の要地でありました。鎌倉時代には、南方に築かれた富沢楯や伏熊楯が存在し、東には寒河江の平野が広がる楯山の上に左沢楯山城が築かれました。左沢氏初代元時は大江時茂の次男であり、南北朝の争乱に備えて左沢に配置されました。

元時は1368年、最上氏との漆川の戦いで敗れ、一族60数名と共に自害しましたが、その後も子孫は代々左沢楯山城を守り続けました。左沢氏から吉川宗家に養子として入った吉川政周が1514年に伊達氏との抗争で戦死して以降、左沢氏の系譜は不明となりましたが、1574年の天正最上の乱では伊達側として活動しました。

楯山公園の魅力

楯山公園は、JR左沢線の終点、左沢駅の北側の高台にあり、地元の豪族大江氏の左沢楯山城跡地にあります。頂上の東屋からは、眼下に迂回する最上川の雄大な流れと、朝日連峰・蔵王の山々を眺めることができます。最上川全長229kmの中でも、この場所は特に絶景とされ、画家や写真家が県内外から訪れます。

また、左沢市街地の北に位置する山城跡にある楯山公園からは、重要文化的景観に選ばれている左沢の街並み、東に広がる村山盆地、西に聳える朝日連峰を眺めることができます。

左沢楯山城の構造

左沢楯山城の構造は、本丸、二の丸、三の丸および三の丸北高地から成り、東西1300メートル、南北600メートルに及びます。本丸には城館と寒河江八幡宮から勧進された八幡社があり、鬼門にあたる東北部には巨海院(こかいいん)が置かれました。二の丸頂上は千畳敷と呼ばれる平坦地になっており、眺望が非常に良いです。

三の丸は堀切により二の丸から切り離されており、堀切は左沢から寒河江・谷地・大石田へ通じる主要街道でした。三の丸南斜面および西端には寺社が配置され、現在でもその痕跡を見ることができます。

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日本一公園(楯山公園)
(にほんいち こうえん たてやま)

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