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山形県立博物館

(やまがた けんりつ はくぶつかん)

歴史と文化を体感できる総合博物館

山形県立博物館は、山形市の中央部に位置する霞城公園内にあり、山形県の自然、歴史、文化を紹介する総合博物館です。本館のほか、教育資料館や自然学習園を附属施設としており、多角的な展示や学習活動を行っています。

本館の展示

山形県立博物館本館では、山形県の自然と歴史、文化を県のなりたちから現代に至るまでの自然と人々の営みと紹介する展示が行われています。これらの展示は、地学、植物、動物、考古、歴史、民俗の各分野にわたります。各展示室では、山形の豊かな自然からその歴史まで、様々なテーマに沿った展示が行われています。

常設展示品

第1展示室:豊かな自然とそのめぐみ

「山形のなりたち」や「森林の科学」、「暖流と雪の山形」などのテーマを通じて、山形の自然の移り変わりや特徴を紹介しています。入口正面には、ヤマガタダイカイギュウの全身骨格模型や化石の産状模型が展示されています。

イヌワシと月山・朝日連峰のブナ林をモデルにしたジオラマ、おし葉標本や樹木標本、模型、県の天然記念物であるチョウセンアカシジミの標本、オサガメや雪と生物のジオラマが展示されています。

第2展示室:山形の大地に刻まれた歴史

「山形のあけぼの」から「米づくりのくらしと心」まで、山形の農家や武士、町人の暮らしや文化を紹介しています。飯豊町上屋地B遺跡から発掘された約4万年前の人類が残した石器や、国宝に指定されている日本最大の土偶「縄文の女神」などを展示しています。

武士の生活を表す資料や、神社や寺院へ奉納された懸仏や絵馬、最上川舟運に使われた小鵜飼舟の模型や道具、大石田河岸のパノラマ模型や最上川絵図、農家のいろりばたのジオラマや県の有形民俗文化財のニセミノなどが展示されています。

第3展示室:近代山形 くらしのうつりかわり

「街かどの風俗」や「山形の郷土玩具」など、現代につながる近代山形の文化を紹介しています。

山形市七日町の風景や明治時代の電話、大正時代のラジオ、相良人形やこけしなどを展示しています。

岩石・鉱物・化石展示

教科書や図鑑に登場する岩石、鉱物、化石の実物標本を展示しています。

体験広場

実物資料に触れる体験を通して、博物館資料への理解を深める広場です。南極海のクロミンククジラの骨格標本や真室川町で見つかったクジラ化石などの展示もあります。

教育資料館の建物

教育資料館の建物は、明治34年(1901年)に建築された旧山形師範学校本館で、国の重要文化財に指定されています。ルネサンス様式を基調とした木造瓦葺きの二階建てで、棟中央には塔屋がそびえ、左右対称形の端正なたたずまいを見せます。内部の天井や床の斜め板張りも特徴的で、美しさと構造強化の両方を兼ね備えています。

教育資料館の沿革

教育資料館の建物は、1878年に山形市旅篭町に開校した山形県師範学校が、1901年に現在地に新築移転したものです。1949年には山形大学教育学部校舎となり、その後、県立山形北高等学校の校舎として使用されました。1971年には博物館の一部となり、1973年には国の重要文化財に指定されました。

展示室の紹介

第1展示室:藩校と寺子屋

山形県内の藩校や寺子屋、私塾の歴史を紹介し、寺子屋風景のジオラマを展示しています。

第2展示室:学校のはじまり

1872年の学制発布当時の山形県内の学校の状況や、明治初期小学校の建築模型を展示しています。

第3展示室:明治から大正へ

山形県内の師範学校や中学校、高等女学校などの歴史を紹介し、明治・大正期の教科書や服装を展示しています。

第4展示室:昭和初期の教育

昭和初期の自由教育や戦時体制下の教育の変遷を紹介し、授業風景のジオラマや訓練用足踏機を展示しています。

第5展示室:戦時下の教育

戦時体制下の教育の様子や、戦時下の子どもたちの服装を展示しています。

第6展示室:新しい教育

戦後の新しい教育制度や、墨塗り教科書などを展示しています。

第7展示室:教員養成のあゆみ

山形県内の教員養成の歴史を紹介し、山形県師範学校および女子師範学校・青年師範学校等の関係資料を展示しています。

縄文の女神

縄文の女神(じょうもんのめがみ)は、山形県舟形町にある西ノ前遺跡から出土した、縄文時代中期に製作されたと見られる国宝指定の土偶の通称です。この土偶はその優れた技術と美しい造形から「縄文の女神」と呼ばれています。

概要

縄文の女神は高さ45センチメートル、淡い赤褐色をした土偶です。この土偶は縄文時代の人の姿が究極に再現されたものであり、完全な形で発見された土偶として日本国内では非常に珍しいものです。多くの土偶は故意に壊された状態で出土し、復元が不可能なものが多い中、縄文の女神はほぼ完全な形で発見されました。

発見と発掘調査

1986年、尾花沢新庄道路(東北中央自動車道)の建設工事に伴い、山形県教育委員会が行った遺跡詳細分布調査で西ノ前遺跡が発見されました。1992年6月から8月にかけて行われた発掘調査で、地下1メートルの範囲から左足、腰、頭、胴、右足など5つに割れた状態で発見されました。その後、復元され、高さ45センチメートルと日本で発掘された土偶の中で最大級とされます。

美しい容貌と称賛

この土偶は均整のとれた八頭身の美しい容貌から、「縄文の女神」と呼ばれるようになりました。また、この発掘調査で縄文の女神以外にも47点の土偶残欠が出土し、これらも国宝の附(つけたり)として指定されています。

国宝指定

1998年6月30日に「土偶1箇 附 土偶残欠47箇 山形県西ノ前遺跡出土」の名称で国の重要文化財に指定され、2012年9月6日に同じ名称で国宝に指定されました。山形県内としては6件目、土偶としては4件目の国宝指定となります。

展示と保存

本土偶は山形県立博物館に保管されており、レプリカが舟形町歴史民俗資料館に展示されています。さらに、イギリスの大英博物館で2009年に開催された土偶展にも展示され、日本国外でも注目を浴びました。

詳細な特徴

本土偶の出土地点周辺からは縄文中期の大木8a式土器が出土しており、本土偶の製作年代も同時期と見られます。本土偶は女性の身体を極限にまでデフォルメした造形に特色があります。顔面は扇形に形成され、扁平でわずかに内彎します。顔面には4か所に小孔が穿たれており、目鼻等の表現はありません。後頭部は大きく内彎します。左右の乳房は逆三角形を呈し、2条の沈線で縁取られています。

胴部は正中に2条の沈線が垂直方向に施され、この沈線の下方には刺突によって臍を表しています。臀部は後方に大きく屈曲しています。腰部には沈線で入り組んだ文様が表されています。左右の脚はそれぞれ角錐状に形成され、最下部で結合しています。脚の前面と背面には太めの沈線で斜線状の文様が密に表されていますが、側面は無文です。両脚とも足裏に穴が空けられており、その深さは3センチメートル強です。これは焼成時に内部が生焼けになるのを防ぐための技術的工夫と考えられます。

本土偶は5つに割れた状態で出土しましたが、ほぼ完形に接続復元されています。縄文土偶は故意に破壊された状態で出土するものが多い中で、この土偶は全体をほぼ完存する点で非常に貴重です。その大きさ(高さ45センチメートル)も縄文土偶としては最大級であり、日本を代表する土偶の一つとして高く評価されています。

Information

名称
山形県立博物館
(やまがた けんりつ はくぶつかん)

山形市・蔵王・天童

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