歴史・由来
唐松観音の始まりは、一条天皇の正歴元年(990年)、平清水の郷民・森山氏の妻が戦死した夫の冥福を祈るため、唐松山の霊窟に観音像を祀り、河岸に草庵を結んだことによります。また、京都の豊丸姫が清水観音のお告げによって炭焼藤太と結ばれ、念持仏を唐松山の岩窟に安置して祀ったとも伝えられています。
平安時代の後、唐松観音は人々の信仰を集めるようになり、寛文元年(1661年)には山形城主松平下総守忠弘が深く帰依し、居城鬼門の守護仏として観音堂を建立しました。これにより、総檜材懸崖造りの荘厳な大悲閣が建設されました。
その後、堀田家の再建(1706年)、水野家の大修理(1856年)など、代々の城主が修復に尽力しました。昭和時代になると御堂は荒廃しましたが、昭和五十一年(1976年)に新観音堂が完成しました。
見どころ
山形市内の眺望
山の中腹にある堂は、京都清水寺の舞台を模した懸崖造りの建物で、堂(舞台)から山形市街を一望することができます。
地蔵尊など
石鳥居の左手に延命地蔵尊、庚申塔、水神塔、参道左側に稚児地蔵尊、上方に水難除地蔵尊があります。
初代鍋太郎
駐車場には「日本一の芋煮会フェスティバル」で使用されていた大鍋「初代鍋太郎」が移設されています。