歴史
天童の春を彩る「人間将棋」は、1956年から行われている一大イベントです。人間を駒に見立てて将棋を指すアイデアは、豊臣秀吉が伏見城で小姓や腰元を将棋の駒に見立てて「将棋野試合」を行った故事に由来しています。
天童市は江戸時代から将棋駒の生産で知られ、藩主である織田信美が米沢藩から駒師を招き、藩士に駒作りを学ばせた歴史があります。現在でも日本の将棋駒の約95%がこの地域で生産されています。
1956年から天童市で桜まつりが開催され、その目玉イベントとして人間将棋が行われるようになりました。初期には地元の名士や市長が指揮をとっていましたが、1972年からはプロ棋士がゲストとして招かれ、舞鶴山山頂の整備された会場で対局が行われます。1992年からは実際にプロ棋士が対局者として指揮をとるようになりました。
ルール
将棋を戦国時代の戦に見立て、戦国時代の兵士や腰元に扮した人間が巨大な将棋の駒となり、「戦場」を模した将棋盤で相手の軍と戦います。戦の指揮は招待されたプロ棋士や女流棋士が務めます。
ルールは通常の将棋と同じですが、人間将棋ではすべての駒を一度は動かすことが暗黙の了解となっています。駒となる人間は一般から公募され、先手・後手で衣装が色分けされます。歩兵役は女性が務めます。