江戸時代の宿場町
江戸時代に奥羽諸大名の参勤交代の宿場として栄えた羽州街道の宿場町「楢下宿」は、往時の町割りのままで現在も貴重な茅葺古民家が立ち並び、集落内を流れる川に架けられた石造りの眼鏡橋とともに歴史を感じる街並みが残っています。1995年に歴史国道、1996年に歴史の道百選に選定され、1997年には国の史跡にも指定されました。
羽州街道
羽州街道は、福島県の北方桑折で奥州街道と分かれ、宮城県の七ヶ宿を通り、上山・山形・新庄・久保田・弘前などの城下町を結んで青森県に達しています。この街道は参勤交代の道として、地元上山藩をはじめ久保田藩・庄内藩など当時十三の藩の大名や多くの旅人が往来し、数多くの物資も行来しました。
「楢下宿」は、羽州街道を宮城側から入る際、七ヶ宿を経て金山峠を越えた最初の本陣として栄えました。天保年間(1830~44)の古文書によると、出羽三山詣での行者、各藩の家中や商人などが宿泊した記録が残っており、非常に栄えた宿場でした。地域住民により歴史・文化・伝統・食など、豊かな地域性が現在にも引き継がれています。
現存する建物は「滝沢屋」「武田家」「庄内屋」「大黒屋」「山田屋」の四つと「眼鏡橋」です。地域全体としては平成9年に「史跡 羽州街道 楢下宿 金山越」として国の史跡に指定されています。
旧丹野家住宅(脇本陣 滝沢屋)
旧丹野家住宅は、江戸時代に庄屋を務めた由緒ある家柄で、屋号を「滝沢屋」と称し、造り酒屋でもありました。滝沢屋は平入り、直家形式の曲り家で、江戸時代に庄家を務め、脇本陣、また旅籠屋として利用された民家です。大名や上級武士の宿泊・休息に利用され、多くの関札が残されています。
平成5年に現在地に移築され、楢下宿の歴史資料を展示しています。宿札や往来手形など「旅」をテーマにした資料を展示しています。
藩政時代、羽州街道の宿場町として本陣、脇本陣、問屋などで賑わった楢下宿の脇本陣を復元し、その由緒ある姿は、人々が行き交った往時の様子を今に伝えています。
見学可能な古民家
大黒屋
大黒屋は文化5年(1808)に建築され、楢下宿の下町にある由緒ある家柄でした。茅葺き寄せ棟の屋根形状で、内部には当時の諸施設が保存されています。見学は無料です。
庄内屋
庄内屋は下町にある脇本陣で、準本陣級の格式を持ち、庄内藩主の常宿とされてきました。楢下の家屋の中では最も古い18世紀中期に建設されました。見学は無料です。
旧武田家
旧武田家は南北にのびる新町の道路西側に位置し、宝暦8年(1758)の屋敷割絵図に「旅籠屋」であることが明記されています。見学は無料です。
滝沢屋
丹野家は江戸時代に庄屋を務めた由緒ある家柄で、屋号を「滝沢屋」と称し、「滝沢諸白」という銘酒の造り酒屋でもありました。脇本陣、また旅籠屋として、大名や上級武士の宿泊・休息に利用され、その宿札が残されています。現在は歴史資料館として見学することができます。
山田屋
山田屋は明治元年に火災があり、直後に建て替えられました。覗橋と建物が一体となった景観は、楢下宿でも当時の雰囲気を感じられる場所の一つです。見学は無料です。
楢下宿のおもてなし料理
楢下宿の古民家・大黒屋では、地元のおばあちゃんたちによる手作り郷土料理を囲炉裏を囲んで味わうことができます。メニューは山菜汁や漬物など、地元で長年にわたり食されてきた素朴な田舎料理で、御膳に並ぶ旬の食材に楢下宿の豊かな食文化を堪能できます。
楢下宿では、納豆餅を竹串に刺して囲炉裏であぶる「納豆あぶり餅」が古くから食されており、醤油の香ばしさに包まれたその味は「素朴で心が温まる」と好評です。
新橋
楢下宿の中央を流れる金山川には、当時では珍しい西洋の土木技術を取り入れた石造りの眼鏡橋が二つ架けられました。「新橋」は通称新町めがね橋と呼ばれ、新町から下町に通じる間を流れる金山川に架けられたアーチ式の石橋です。
明治初期に西洋の土木技術が導入され、県内各地に石の橋が架けられました。「新橋」はその一つで、明治13年に竣工しました。橋を通行する人・人力車・荷車等から橋銭として特に徴収したという珍しい橋でもあります。「覗橋」は上流の新橋が完成した2年後の明治15年竣功しました。
その他見どころ
浄休寺の鐘と樹齢300年の大銀杏
消防ポンプ小屋(大正時代建造)
樋山文駄ゆかりの観音堂
番所跡
粟野豆腐店
丹野醤油店