展示内容
現代の名工の技
現代の名工が作り上げた将棋の駒や、世界各国のチェス、そして将棋の原型といわれるインドのチャトランガなどを展示しています。これにより、将棋駒の美しさや奥深さを感じることができます。
将棋駒の歴史
天童市は、将棋駒の生産量日本一を誇る「将棋のまち」です。小さな将棋駒には、大きな歴史、ロマン、伝統、そして技術が息づいています。資料館では、将棋のルーツ、将棋の歴史、天童がなぜ将棋駒のまちになったのかを学ぶことができます。
・将棋の発生と日本への伝来
・世界の将棋
・将棋駒の製作工程
・駒工人の作品
将棋のルーツ
将棋のルーツは、古代インドで遊ばれていた「チャトランガ」というさいころ将棋にあるといわれています。日本に伝えられた時期は明確ではありませんが、平安時代の11世紀頃には既に遊ばれていたそうです。その後、日本独自の発展を遂げてきました。
将棋の町・山形県天童市
天童市の将棋駒の歴史は、江戸時代末期の元治二年(1865年)に吉田家から伝わったとする説が有力視されていました。しかし、最近の研究では、18世紀には既に将棋駒の製造方法が天童に伝わっていたと見られています。
将棋駒製造の始まり
天童藩の財政状況が悪化していた時期、将棋の人気に目をつけた天童藩は、武士たちに将棋駒の製造を奨励しました。これが天童での将棋駒製造の始まりとされています。
天童駒の特徴と進化
初期の天童駒は、近隣の山から切り出した雑木を斧で割った木地に、独自の草書体で漆書きされたものでした。不揃いで庶民向けの低価格品が主でした。
明治時代から現在まで
明治時代中期: 東京から楷書体の駒が伝わり、駒のスタイルが変化しました。
大正時代: 彫り駒の手法が取り入れられ、木地も機械で揃えられるようになりました。
現在では、木地にスタンプで印字する押し駒(スタンプ駒)や、機械彫りの低価格の彫駒が普及しています。そのため、伝統的な天童書体の書き駒の職人は少なくなっています。
伝統工芸品としての天童の将棋駒
1996年、天童の将棋駒は国の伝統工芸品に指定されました。近年では、漆の代用品としてインドやブラジルのカシュー塗料が使用されることもあります。